大唐大慈恩寺玄奘三蔵法師伝 紀行ツイートまとめ 第一弾

2021/06/15

2021年6月に、転回社の最新作『大唐大慈恩寺玄奘三蔵法師伝』を公演致します。
7世紀に中国からはるばるインドまで渡り、膨大な経典を持ち帰った玄奘の物語です。
しかしながら、16年にも及ぶ玄奘の旅はあまりにも長く、残念ながらその行程全てをご紹介することはできません。また、今回の作品は玄奘の旅をそのまま描写するものでもありません。
せめて、少しでもその果てしない旅路に想いを馳せていただけたらと思い、studio in.K. のTwitterでは、玄奘が立ち寄った国を順にご紹介させていただいております。

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今回はこれまでTwitterでご紹介させていただいた文をまとめて記事にしてみました。

大唐大慈恩寺玄奘三蔵法師伝は中国・唐代の僧である玄奘三蔵(げんじょうさんぞう)の物語です。西暦629年、玄奘は仏教を求めてに長安からインドへ旅立ち、約16年かけて膨大な量の経典や仏具等を中国に持ち帰りました。帰国後は経典翻訳の大事業を成しとげ、歴史に燦然と名を残した名僧です。

玄奘はインドから657部にものぼる経典を持ち帰り、帰国後はその翻訳に余生の全てを捧げました。玄奘の持ち帰った経典は今でも多く伝わっており、例えば般若心経も玄奘の訳した経なのです。


皆様ご存じ『西遊記』は、三蔵法師が幾多の苦難を乗り越え天竺へ取経を目指す物語ですが、このモデルとなったのが玄奘三蔵なのです。ただし、残念ながら孫悟空や沙悟浄、猪八戒は出てこないようです。

玄奘は602年、陳留(現在の河南省開封市一帯)に生まれました。名家のお坊ちゃんで、幼い頃から学問に優れ、周りからは既に天才と評されていたようです。さすが歴史に名を残す人物は違いますね。

Author: Myicbc
Sources: https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Kaifengfu.jpg

玄奘が幼少の頃、彼の才能を見抜いた兄によって洛陽に連れて行かれ、そこで仏教を習い始めることになります。玄奘は洛陽で僧を目指しますが、年齢制限にひっかかって応募できません。しかし、審査員の一人に目を付けられ、特別に僧に任命されることになったのです!

西暦618年、隋の国が乱れて治安が悪くなったので、玄奘は兄を説得して共に長安(現在の西安)に移りました。この後、隋は滅んで唐の王朝になります。時に玄奘は16歳、激動の時代に青春を過ごしました。

洛陽を出て長安に来た玄奘でしたが、長安では仏教が盛んではなく玄奘はひどくがっかり。

兄を説得して蜀の成都に行くことにしました。弟の我儘に振り回されてお兄さんもいい迷惑ですね。

成都はパンダの繁殖基地で有名ですが、玄奘がパンダを見たのかどうかは謎です。

玄奘が20歳の時、「四川省の経論は研究し尽くしました。次は長安に行きたいです」と言い出します。しかしそれは法律違反。兄にも反対され長安行きは叶いませんでした。でも諦める玄奘ではありません。こっそり船で荊州に行っちゃいました。兄は本当にいい迷惑です。

Author:Fxqf
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荊州を出た玄奘は、相州や趙州で勉強し、再び長安にやって来ました。長安は前に「こんな所に仏法はない」と言って一度捨ててますが、あまり間を置かず戻っているあたり、屈折した思いを感じますね。タイトルの大慈恩寺も長安(西安)にあります。玄奘ゆかりのお寺です。

Author:Maros M r a z (Maros)
Sources: https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Giant_Wild_Goose_Pagoda,_Xi%27an,_China_-_006.jpg


国内で仏法を学び尽した玄奘でしたが、彼の探求心は止まりません。もっと詳しく学びたいと思い、単身インドへ行く決心をします。当時、国外旅行は禁じられていましたが、仏法の為なら何のその。お尋ね者になるのも構わず国を飛び出ていきました。玄奘26歳のことです。

-大慈恩寺玄奘三蔵法師伝