大唐大慈恩寺玄奘三蔵法師伝 紀行ツイートまとめ 第三弾

2021/06/01

2021年6月に、転回社の最新作『大唐大慈恩寺玄奘三蔵法師伝』を公演致します。
7世紀に中国からはるばるインドまで渡り、膨大な経典を持ち帰った玄奘の物語です。
しかしながら、16年にも及ぶ玄奘の旅はあまりにも長く、残念ながらその行程全てをご紹介することはできません。また、今回の作品は玄奘の旅をそのまま描写するものでもありません。
せめて、少しでもその果てしない旅路に想いを馳せていただけたらと思い、studio in.K. のTwitterでは、玄奘が立ち寄った国を順にご紹介させていただいております。

studio in.K.Twitterのアカウントは以下の通りです。
Twitter: @studioink_info

この紀行ツイートまとめでは、これまでTwitterでご紹介させていただいた文をまとめて記事にしてみました。

前回までの旅の様子はこちら↓

第一弾
https://ink.tenkai.org/tipitaca0515/

第二弾
https://ink.tenkai.org/tipitaca0520/

今回は第三弾ということで、前回からの続きをご紹介させていただきます。

阿耆尼国には銀の鉱山がたくさんあります。
さぞ豊かな国なのだろうと思いきや、賊が出たりと、安定はしていない様子。
玄奘も歓迎はしてもらえましたが、馬は支給してくれませんでした。
「このケチくさい国め」と思ったかどうかは知りませんが、翌日には国を出ました。

Author:Rolf Müller
Sources: https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Kaidu_river_yanqi_xinjiang.jpg

阿耆尼国から西方へ数百里ゆくと、屈支国(クチャ)に入ります。
玄奘が国に近づくと、王や群臣や高僧が迎えに行き、僧が数千人城の外で幔幕を張って音楽を演奏して待っていました。
到着すると、行く先々の寺で花やグレープジュースや肉料理で歓待されたのです。
なんというVIP待遇!

Author:Yoshi Canopus

Sources:https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Subashi_Buddhist_Temple_Ruins_-_West.jpg

屈支国から六百里進むと今度は跋禄迦国に入りました。
ここには世界遺産にも登録されたキジル石窟があります。
キジル千仏洞、キジル石窟寺院とも呼ばれ、新疆では最大の石窟なのですが、玄奘は跋禄迦国に一泊しかしておらず、この仏教遺跡を観光できてないかも。

Author:Rolfmueller
Sources: https://commons.m.wikimedia.org/wiki/File:Kizil_caves_2006_10_01.jpg

跋禄迦国から北西に三百里歩むと凌山に至ります。
タジク語で「世界の屋根」を意味するパミール高原の北隅に位置し、平均標高は5000m、氷雪が吹きすさぶ恐ろしい難所です。
玄奘のキャラバンも、10名中3~4名が凍死し、牛馬にはもっと死んだといいます。

Author:Irene2005
Sources: https://commons.m.wikimedia.org/wiki/File:Pamir_Mountains,_Tajikistan,_06-04-2008.jpg

恐ろしい凌山を越えると玄奘一行はイシック・クルに着きました。
イシック・クルは、清地、熱海とも呼ばれる内陸湖です。
熱海といっても温かい訳ではなく、凌山と比べて凍ってないことからその名が付けられたとか。
数少ない古代湖の一つなのです。

Author:Julo
Sources: https://commons.m.wikimedia.org/wiki/File:Issyk_Kul_beach.JPG

イシック・クルから湖岸沿いに五百里ほど進むと素葉城に着きました。
玄奘はここで牛肉料理、餅、飯、ヨーグルト、砂糖、蜂蜜、ぶどう、ぶどうジュースをごちそうになったと記録に残ってます。なんておいしそう。。。

Author:Otebig at English Wikipedia
Sources: https://t.co/SOJN8e6QWr?amp=1

素葉城から西方へ四百里進むと屏聿に至ります。
千泉とも呼ばれ、唐代の史書に突厥可汗の王庭のひとつとしてあらわれるオアシスです。
南方のアレクサンドロフスキー山脈(現,キルギススキー山脈)を背景として、泉にめぐまれ、豊かな草原ともなっています。

屏聿から西行五十里でタラスに至ります。
ところで、カザフスタン料理のシャシリクはご存じですか?
お肉を、酢やワイン、オリーブオイル等を混ぜたものに、ニンニク、タマネギ、黒胡椒、クローブなどの香辛料やハーブ、塩等を調味料として長時間漬け込んで焼きます。

Author:Игоревич
Sources: https://t.co/91lvlMpmXE?amp=1

タラスから西南二百里行くと白水城に入ります。
ここら辺の料理ではベシュバルマクも有名ですね。
ゆでた幅広の麺とともにソルパと呼ばれる肉の出し汁をかけ、ケセと呼ばれる伝統的な木製の食器に入れて供されます。
カザフスタンで最も人気のある料理なんですよ。

Author:Arthoum
Sources: https://commons.wikimedia.org/wiki/File:%D0%91%D0%B5%D1%88%D0%B1%D0%B0%D1%80%D0%BC%D0%B0%D0%BA.jpg

白水城から西南へ二百里進んで、玄奘は恭御城へ入りました。
カザフスタン料理ではクイルダクも忘れてはいけません。
ウマやヒツジ、ウシなどの肝臓、腎臓、心臓やその他のもつを細かく刻み、玉ねぎやピーマンと炒めた料理です。
はたして玄奘は食べたのでしょうか?

Author:Rio Murr from Minsk, Belarus
Sources: https://t.co/N7mNSoLoPP?amp=1

恭御城から南へ五十里で笯赤建国(現チルチク)。玄奘の旅もウズベキスタンに入ってきました。
この街では集団農場用の化学肥料や、合金、農業用機械、化学工業用機械の生産が行われており、硝酸アンモニウムなどの化学肥料の生産については国内最大量を誇っています。

Author:Or2008
Sources: https://t.co/Yzt7E336Ws?amp=1

笯赤建国から西に二百里で着いたのが赭時国。現在でいうところのウズベキスタンの首都であるタシケントです。古来よりシルクロードの中継都市として発展してきた歴史ある街ですが、残念ながら1917年のロシア革命や1966年の地震の影響で古い建物がほとんど残ってません。

Author:Otoirov
Sources: https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Tashkent-Uzbekistan.jpg

赭時国から西へ千余里進むと、窣堵利瑟那国に入ります。
中央アジアではプロフという料理が広く作られており、ウズベキスタンでも国民食として愛されています。米、肉、ニンジンやタマネギなどの野菜を使用して作るピラフに似た料理です。羊肉を使うとごちそうです。

Author:Utilisateur:Atilin
Sources: https://t.co/ptDa5kJmQU?amp=1

窣堵利瑟那国から砂漠を越えて北西に行くと、颯秣建国に入ります。

「青の都」サマルカンドは、モンゴル軍の侵攻によって廃墟と化した後、英雄ティムールによって蘇りました。建物を飾る鮮やかな青色タイルは、中国の陶磁器とペルシアの顔料が出合って誕生したものです。

 

-大慈恩寺玄奘三蔵法師伝