大唐大慈恩寺玄奘三蔵法師伝 紀行ツイートまとめ 第八弾
2021/06/07
2021年6月に、転回社の最新作『大唐大慈恩寺玄奘三蔵法師伝』を公演致します。
7世紀に中国からはるばるインドまで渡り、膨大な経典を持ち帰った玄奘の物語です。
しかしながら、16年にも及ぶ玄奘の旅はあまりにも長く、残念ながらその行程全てをご紹介することはできません。また、今回の作品は玄奘の旅をそのまま描写するものでもありません。
せめて、少しでもその果てしない旅路に想いを馳せていただけたらと思い、studio in.K. のTwitterでは、玄奘が立ち寄った国を順にご紹介させていただいております。
studio in.K.Twitterのアカウントは以下の通りです。
Twitter: @studioink_info
この紀行ツイートまとめでは、これまでTwitterでご紹介させていただいた文をまとめて記事にしてみました。
前回までの旅の様子はこちら↓
第一弾
https://ink.tenkai.org/tipitaca0515/
第二弾
https://ink.tenkai.org/tipitaca0520/
第三弾
https://ink.tenkai.org/tipitaca0523/
第四弾
https://ink.tenkai.org/tipitaca0526/
第五弾
https://ink.tenkai.org/tipitaca0529/
第六弾
https://ink.tenkai.org/tipitaca0601/
第七弾
https://ink.tenkai.org/tipitaca0604/
今回は第八弾ということで、前回からの続きをご紹介させていただきます。
劫比羅伐窣堵国から東方へ五百余里行くと、藍摩国に至りました。現在のダルマプリであると言われています。
住民は少なく、旧市街の東南に煉瓦製のストゥーパがあったと玄奘は記しています。釈迦が涅槃した後に先王が舎利を分け与えられ、帰国して作ったものだとか。
Author:Fleming housberg at English Wikipedia
Sources: https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Fourr.jpg
次に訪れたのは拘尸那掲羅国。釈尊入滅の地です。
死期を悟った釈尊が霊鷲山から生まれ故郷に向う途中、この地で亡くなりました。毒キノコを食して激しい下痢を起こしたのが原因とされています。
四大聖地のひとつですが、玄奘が来た時は荒れ果てていたそうです。
Author:myself
Sources: https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Kushinara1.jpg
次に玄奘が訪れたのは婆羅痆斯国(ヴァーラーナシー)。
ヒンドゥー教の一大聖地として、インド国内外から多くの信者、巡礼者、観光客を集めるインド最大の宗教都市です。
その歴史はたいへん古く、世界3大叙事詩の一つともされるマハーバーラタにも記述があります。
Author:Penyulap, authors of individuals pictures attributed above.
Sources: https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Varanasi_collage.png
婆羅痆斯国から東北へ十余里いったところにあるのがサールナートです。
釈迦が悟りを開いた後、初めて教えを説いた初転法輪の故地とされている、仏教の四大聖地の一つです。
現在はインド政府によって整理され遺跡公園になっており、周辺からは仏像が多数出土してます。
Author:GONG JIE
Sources: https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Dhamek_Stupa,_Sarnath.jpg
サールナートからガンジス河を渡って東方に三百余里で戦主国に至りました。今でいうガジプールです。
インドのウッタルプラデーシュ州にある町で、世界最大の合法アヘン工場があることで知られています。世界の製薬業界向けの医薬品を製造しているのです。
Author:PiMaur
Sources: https://en.wikipedia.org/wiki/File:Tomb_of_Lord_Cornwallis.jpg
さらに東北へ百四、五十里で吠舎釐国(ヴァイシャーリー)に至りました。
古くから伝わる商業都市で、仏教教団に強い影響を与えています。仏教僧団を意味する「サンガ」(僧伽)という言葉は、元々はこの地域に発生した商工業者の同業組合や共和制を意味する言葉でした。
Author:mself
Sources: https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Ashoka_pillar_at_Vaishali,_Bihar,_India_2007-01-29.jpg
吠舎釐国から百余里で湿吠多補城に至ります。
ところで厳密にいえばインドに『カレー』なる料理はないそうです。
インドに香辛料を使った煮込み料理は数多くあり、それぞれの料理名で呼ぶものでして、香辛料を多用する料理を全てカレーと呼ぶのは乱暴な呼び方なのです。
湿吠多補城から南方にガンジス河を渡ると摩掲陀(マダカ)国に至りました。
マダカ国は古代インドにおける十六大国の一つで、インド初の統一帝国です。
マカダ国には獅子から生まれた斑足王の伝説があり、日本にも伝わって、絵本や歌舞伎などで人気を得ました。
摩掲陀国から南方に百余里で、釈迦が悟りを開いたというブッダガヤの菩提樹に至りました。
釈迦が生きていた頃は木の高さが数百尺ほどあったそうですが、玄奘の頃は伐採されて五条ほどだったとか。
ここは仏教における最高の聖地とされています。
Author:Bpilgrim
Sources: https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Mahabodhitemple.jpg
次に訪れたのは曷羅闍姞利呬城(ラージャグリハ)です。
釈迦が説法した地の一つで、外輪山に囲まれた盆地の中にある都市ですが、考古学的にはあまり解明は進んでいません。北インドでは珍しく温泉が湧き出るそうです。
Author:myself (Knverma (talk))
Sources:https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Shanti_Stupa,_Rajgir.jpg
玄奘は結局、摩掲陀国に5年も滞在しました。
その間、様々な経典や論を学び、書を読み、仏跡を訪れています。
勉強熱心なのもさることながら、ここまでの行程でいつの間にがヒンディー語をマスターしていたのにもビックリですね。
Author:William Pfeifer
Sources: https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Mahabodhitree.jpg
摩掲陀国を出て玄奘が向かったのは伊爛拏鉢伐多(イリーナパルヴァタ)国。
当時、隣の国がこの国の王を廃して、王城を僧に施していたそうです。
僧侶が4千余人もいる、なかなかの仏教国だったようですね。
玄奘はここに1年ほど滞在したのでした。
次に訪れたのは瞻波(チャンパー)国。
伝説によれば、その昔、天女がこの世に舞い下りてガンジス川で水浴をしていた際、水霊
天女の体にふれ、4人の子を産んだそうです。
4人の子は後にそれぞれ町を統治したのですが、瞻波国はその中の1つなのです。
Author:Jahaj
Sources: https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Ghantaghar_Bhagalpur.jpg